人はちっぽけな存在だからこそ

長い冬の期間もようやく終わり、新緑が美しい季節がまたやって来た北軽井沢。
あやめヶ原の森も青々しく若葉が芽吹いており、周辺を歩くだけで心身ともにリフレッシュできるのは、この地に来た人しか味わえない貴重なものです。
森の中を歩くのが私の日課になっているのですが、木々に囲まれていると『なんて自分はちっぽけな存在なのだろう』と思うことがよくあります。
怪しい自己啓発のさわりみたいな字面で恐縮ですが、本当にそう思うんですね。
木は何十メートルという高さに生長しますから、まず当たり前ですが大きい。
見上げるほどに巨大なわけで、太い幹から大小様々な細い枝が複雑に絡み合い、その先に葉が付いている。
葉の形や枚数・色は木によって異なり、各々が空に向かって伸びていて、傍目から見るとどれも同じような木に見えますが、ミクロな視点で見ると、全てが似て非なるものです。
で、そんなアシンメトリーな形状である一つ一つの木が無作為に並んでいる様に、どこか美しさを覚えるんですね。
木は、決して誰かの心を満たすために生えているわけではないのに、結果として少なくとも私の心を癒してくれる。
ただそこにいるだけなのに、無意識にその他大勢のストレスを緩和してくれるのは、やはり大きな存在だと思います。
上背も大きいし、心意気(?)も兼ね備えている木をみると、自分の矮小さが身に沁みるとは、このような理由からです。
大事を成すには
平均寿命が伸びたとはいえ、それでも人の一生は80年と見るべきでしょうし、健康で精力的に活動できる期間はもっと短いですよね。
人生100年時代が現実味を帯びてきていますが、まだ先の話です。
ちっぽけな存在である人間が、生涯でできることはたかが知れています。
たった一人でなにか事を成そうとするのには、能力に限界がありますし、時間もお金も多量に費やすことになる。
ですが、誰かと一緒なら話は変わってきますよね。
生まれも育ちも環境もなにもかもが違う人同士が手を取り合って協力することで、今までお目にかかったことがない素晴らしい結果が生まれるかもしれない。
一人でやっていたら諦めてしまったことだって、他の第三者の協力を仰ぐことで達成できるかもしれないわけです。
誰もが「こうなったらいいな」という理想像をもってますよね。
もっとお金が欲しいとか、家庭環境を円満にしたいとか、人生を充実させたいとか、そういった願い事を皆さんもっていて、それらをいかに実現させようかと毎日奮闘しているはずです。
各人の思いを尊重しつつ、手を取り合って協力体制をとることが夢を叶える第一歩なんだと思います。
独り善がりにならずに、自身の小ささをしっかりと自覚することは、人として大きく成長するために必要ですね。