田舎の不便さからみえてくるもの

先日所用があって横浜に行ってきたのですが、やはりめちゃくちゃ都会ですね。
交通網も申し分ないし、朝昼晩とお腹が空いたらすぐに食べに行ける・飲みに行ける場所が山のようにある。大きな書店もたくさんあるし、駅ビル内も充実していて「あれ欲しいな」と思ったものがすぐに手に入る環境というのはとても魅力的で、人が多いのも頷けます。
そんな都会と比べると、ここ北軽井沢は決して交通の便がよくないですし、お腹が空いても食事ができる飲食店やカフェは限られています。
書店もないですし、商業ビルも当然ありませんので、特に若い人たちにとってはお世辞にも魅力的とは言い難いと思います。
要するに、不便ということですね。田舎は不便なんです。

そんな田舎に腰を据えて住んでいる人は相当な物好きか、はたまた浮世離れな変わり者かどちらかなんでしょうけど、意外と不便って悪くないんですよ。
むしろ不便だからこそ頭と身体を使って、仲間と一緒に試行錯誤して、毎日を少しでも面白くしよう・充実したものにしようと努力をするので、DIY精神が育まれて楽しく過ごせます。
苦労することだってありますが、頑張ってその苦労を乗り越えた先にはなんとも言えない達成感を味わうことができますしね。
乗り越えるのが難しいハードルがあったって「みんなで協力すればいつかなんとかなるだろう」と、明日は明日の風が吹くのケ・セラ・セラな態度で臨むのであくまで楽観的です。
不便というのは見方を変えれば、非効率的であるとも言えます。
生産性をいかに向上させるか、業務のムリ・ムダ・ムラをいかにして排除するかを考え行動にうつしていくことは、間違いなく有益でしょう。
ただ効率を重視していけば、機械化・均質化は避けられず、そこに温かな人間味のある個性といったものを感じることはできません。
時代はより便利なものに変化していて、生活が快適になっていく反面、なんとなく無機質に感じてしまい、私はちょっと嫌なんですね。
企業のデジタル化が促進されるのはいいことなんでしょうし、リモートワークも画期的で確かに素晴らしいです。
でも昔ながらの紙の文化や、人と人が直接面と向かって互いの熱量をリアルに感じながら会話をする精神的風土も同じくらい素敵だと思っていて。
たまにはFAXで書類を送ったっていいじゃないですか。逆に新鮮ですよね。
こんな時代だからこそ、あえて不便を楽しむのはとても粋で味のあることだと思います。
そして、不便というのは人とのつながりを生んでくれたりもします。
不便なことがあると、自分一人の力ではどうにも解決に結びつきません。
誰かに聞いてみたり、一緒に考えてもらったり、手伝ってもらったりしないといけないわけですから、どうしても他人を巻き込むことになってきます。
多くの人と必然的に関わりをもたなければならないので、コミュニケーションの作法だったり、居心地の良い距離感の取り方がイヤでも身につくのは、なんとなくお得感があると思いませんか?
もちろん意図的に不便な生活をしろと言っているわけではありません。
ただ、生活すべてを効率重視で便利なもので溢れさせても、人生はつまらないものになると思います。
ある程度の遊びをもたすことで、心の健康を保つという方法もあるということです。