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インターネット社会の光と影

国が推進しているSDGsの施策の一環として、ジェンダー平等社会の実現というものがあります。

ジェンダー平等というのは、性別に関わらず、平等に責任や権利や機会を分かちあい、あらゆる物事を一緒に決めていくことを意味しています。

ここでいう『平等』とは、憲法14条にある法の下の平等を前提にしていて、同条が謳っている平等は、通説に則ると機会の平等を指しているんですね。

つまり、どのような人であっても等しく機会を与えると。

機会を与えるけれど、それを活かすも殺すもあなた次第ですよということです。

日本では、なにか不満があったり、自分の言い分を聞いてほしいと思えば、基本的には誰であろうとそれを実現するためのチャンスがある。

言いたいこともなかなか言えない毒のような国が世界中には沢山ありますが、言論が封殺されていないという意味では、日本は発言の自由が効きますし先進的だと言えます。

そして平等といえば、インターネットの存在も忘れてはいけません。

パソコンを持たなくてもスマホ一台あれば、国境を超えてありとあらゆる情報にアクセスすることが可能です。

年齢・性別・人種・宗教の違いもなんのその、国家機密でもない限り、語彙力や多言語を自在に活用すれば、なんでも知ることができる。

インターネットの出現は、このように人類史に刻まれる革命的な出来事なんですが、あまりにも多くの情報を知り過ぎてしまうというデメリットがあります。

知らなくていい情報、知るべきではない情報に、いとも容易くリーチできてしまうので、物事を判断する際にいちいち迷ってしまったり、決断を下すのが遅くなってしまったりしてしまう。

例えばSNSをみると雑多な情報で溢れてますよね。

もちろん中には有益で本当にためになる情報もありますが、ほとんどは自分に関係のない要らない情報ばかりです。

いわゆるキラキラしてるお金持ちっぽく見える成功者の投稿って、X(旧Twitter)でもインスタでもフェイスブックでも多いじゃないですか。

SNSを何気なくやっていると、タワマンで豪遊してる港区女子とか、札束を見せびらかして稼いでますアピールする情報商材屋さんとか、本来だったら見なくていい情報を強制的に見せられてしまう可能性が非常に高い。

すると、心の何処かにドス黒い嫉妬の感情が沸き起こることが十分にあり得ます。

言うまでもなく嫉妬心が生み出す負のエネルギーは凄まじいものがあり、それはスターリンがトゥハチェフスキー将軍を粛清した歴史をみれば火を見るより明らかです。

人々に須らく機会の平等を提供してくれるインターネットを使っていると、皮肉なことに世の中の不平等を思い知り、誰かを殺したくなるほど憎んでしまうかもしれない。

便利で快適な道具は、使い方を間違えると不幸を呼び寄せてしまう諸刃の剣となってしまうことを肝に命じなければいけませんね。

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