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シーソーから学ぶ現代社会を穏やかに乗り切る方法

休みの日は子ども達と公園に出かけるのが日課になっています。

うちの子たちは今時珍しく(?)外で遊ぶことが好きで、砂場とブランコとすべり台があれば平気で二時間は楽しんでいます。

あやめヶ原がある北軽井沢は大きな公園がないので、昨日は近くの応桑小学校というところまで車を飛ばしてグラウンドでわいわい遊んだんですが、まぁはしゃいじゃって大変でした。

砂場もブランコもすべり台もあるし、ジャングルジムにうんてい、鉄棒、シーソーもあって、思う存分暴れてくれました(大人は疲労困憊です、、)。

中でもシーソーにハマって、兄弟で延々と上下運動を繰り返してげらげら笑い合ってたんですが、シーソーって面白いし奥が深いなと思いまして。

奥が深いというか、学びがあるというか、ニュートラルな状態って大事だよなと感じたんです。

ニュートラルは中立という意味で、それは言葉の通りどこにも偏ってない状態のこと。

シーソーは、誰も乗らなければ右にも左にも偏らず、その姿は地面と平行しています(中にはいずれかに偏っているシーソーもありますが)。

このニュートラルな状態をいかに保つかが、今の時代を乗り切るには必要なんじゃないかなと思ったんですね。

目の前に起きる物事にいちいち喜んだり怒ったり、誰かの言葉に感情をぶらぶら揺さぶられたりせずに、良い意味で無感情・無関心を決め込むことが有用であるということです。

 

シーソーで遊ぶと、どちらか一方が必ず上か下に移動するじゃないですか。で、その移動を自由にコントロールできるのは決まって体重が重い方です。

我が家でいうと、姉が妹の動きを手中に収めてるわけで、言うなれば妹は常に姉に振り回されることになる。

これを大人の社会に置き換えると、体重が重い方が会社組織であったり、マジョリティの意見だったりしますね。

職場の上司の言葉には基本従わなければならず、褒められたり叱られたりしながら日々を過ごし、SNSでは自分とは違う価値観や信条の人の発言を目にして、イラついたりと実に様々な刺激を受けます。

感情の休まるヒマがないわけです。

これではどうやっても心が落ち着かず、メンタルを病んでしまう人が続出するのも当たり前の話。

いちいち周囲に反応せずに、静かな心を維持しようと試行錯誤することがカギだと思います。

どこに偏るでもなく、ニュートラルな物腰で過ごす時間をどのようにして増やすのかが、現代社会を生き抜く上で重要なスキルになることでしょう。

瞑想が流行っているのも、きっとこのような時代背景からですよね。

なにも考えずにリラックスする時間を作るのはなかなか難しいかもしれませんが、環境を変えることでそれは容易に叶います。

北軽井沢の緑豊かな森の中にひっそりと身を置いてみてください。

いやでも心身が休まりますから。

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