田舎は情報に触れる機会が圧倒的に少ない
北軽井沢に長く住んでいると、時代に取り残されている感覚にふと襲われることがあります。
なんてったって人口わずか1600人の田舎ですからね。東京や神奈川、愛知・大阪・福岡といった大都市と比べると、ありとあらゆる情報に触れる機会が極端に少ないことは否めません。
今は誰でもインターネットを通して世界と繋がれるからそんなことないんじゃないか?と思うかもしれませんが、違うんですよ。
確かに人里離れた辺境の地にいても、ネット回線が通っていれば最先端の知見を吸収することができます。
沖縄の無人島で自給自足の生活をしながら、ロンドン大学クイーンメアリー校の修士号を取得するのも可能なわけです。
でもそれも知らなければ意味がない。
「日本にいながら海外の大学院を卒業できる」という事実(=情報)を知ってないと、話にならないということですね。
人は基本的に、自分が興味のある分野のことしか知ろうとしません。
ネットの世界はGoogleにしろ、Amazonにしろ、各種SNSにしろ、ユーザーの満足度をいかにして向上させるかといった独自のアルゴリズムを展開しており、これはレコメンド機能によく表れています。
例えばYoutubeを見ていると「こちらの動画もおすすめ」的な表示を見た事がないでしょうか。Amazonでもありますね。商品を購入後に「こちらの商品もいかがでしょうか?」と画面に現れるはずです。
このように、ユーザーが興味のある(と推定される)分野をさらに横展開し、利便性の向上に努める機能が種々様々なWeb上のサービスに付与されています。
とすると、我々は半ば強制的に「自分の興味のある分野にしか触れられない」ことになる。
自身が全く知らない未知の世界に足を踏み入れるには、能動的に情報を取りに行かなければならないわけですが、デジタル全盛の時代・環境でそれを行うには相応の困難が伴います。
そんな時は、本屋に行って多くのジャンルの本を手に取るなど、アナログな方法が功を奏するんですが、田舎だとまず本屋がなかったりするんですよ。
北軽井沢がある長野原町では本屋は一軒しかないですし、そこまで行くのに車で20分はかかります。加えて田舎の本屋なので商品ラインナップは大都市と比べて雲泥の差です。
今まで見たことも聞いたこともなかった世界がすぐ近くにあるのに、皮肉なことに田舎に住んでいるとその存在を知ることができない。
とてつもないスピードで世の中は変化しているのに、田舎にいるとそれに気付けない。時代に取り残されている感覚というのは、このような状況から生まれてくるものです。
もちろん田舎に住んでいて良いことは、都会に比べて沢山あると思います。
ですが、田舎は情報に触れる機会が少ないという事実は知っておいて損はないでしょう。
人に会ったり、新しい情報に触れることで、今まで悩んでいたことが霧が晴れたようにパッと解決することは往々にしてありますよね。
それが中々できないと、狭い世界に生きることになる。人によっては住みづらさ・生き苦しさを感じるかもしれません。
なんでもそうですが、物事には良い面もあれば悪い面もあります。
田舎に移住するのならその両方をしっかりと理解・認識し、後悔のないようにしたいものですね。