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田舎に惹かれる人が多い理由

田舎暮らしって一見するとスローライフで、自然に囲まれてのんびり…みたいなイメージが先行しますけど、実際はむしろ街よりも“生きる”ってことに対して真剣さが求められる気がします。

(冒頭からいきなりすみません。今日はコラム的な内容です。)

自然と一緒に生きていくって、言い換えれば自然に振り回される覚悟がいるし、季節や天気のちょっとした変化にものすごく敏感にならざるを得ない。

そこに、土地の付き合いや地域の行事、手入れしなきゃいけないものの多さも加わって、毎日がある種の闘いみたいなもの。

ただ、それでもやっぱり田舎に惹かれる人が多いのって、そういう「生きてる実感」が欲しいという気持ちの表れなのかなと思うんですよね。

都会では便利さに包まれて、自分の手を動かさなくてもほとんどのことが成り立っちゃうけど、田舎はそうはいかない。

自分の手である程度はこなさなきゃなりませんが、その分何かを成し遂げたときの満足感や自分の生活に対する誇りって、田舎の方がずっと大きいんじゃないかとも思います。

しんどいこともありますけどね。

でも、しんどさの中にしかない豊かさが、そこにはちゃんとある。

こちらに越してきた方とこの前話してたんですけど「“生き方”そのものが問われてると感じる」と仰れれていて、まさに!と感じたんですよね。

田舎に越してくると、自然や土地と本気で向き合う覚悟があるのか、自分に問い続けるような日々になる。

カフェでも開いて、のんびり畑でもしながら~なんて夢みたいなことを考えてたら、あっという間に自然にも地域にも置いて行かれたりしますからね。

雑草ひとつ取っても油断したら畑がジャングルになるし、古民家は手入れを怠ると一冬で崩れるし、天気が悪ければ収穫も台無しになる。

それでも毎日は続いていくし、やることは山積み。これってもう、ある種の“生活との格闘”なんじゃないかなと。

何年経っても色褪せない価値が田舎にはある

でも苦労の分だけ、自分の暮らしが“自分のもの”になっていく感覚はあります。

手で収穫した野菜の味、薪で炊いたご飯の香り、地域の人との何気ないやり取り、そういう一つ一つが心に沁みてくる。

便利さとか快適さの“外”にある幸せというんでしょうか。

そういうのを感じられるようになった自分に気づいたとき、ああ、これが「しんどさの中にしかない豊かさ」なんだなって、しみじみ思うわけです。

買ったり借りたりじゃ手に入らない、自分の身体と心で獲得していくものだからこそ、何よりの宝物になるんじゃないかなと。

見過ごされがちなことじゃないですか。

今の時代って、何かに困ったらすぐに検索して、物もサービスもお金で解決できることが多いから、「手間をかけて得る幸せ」ってちょっと時代遅れみたいに見えるかもしれない。

でも実際にその手間や不便さを体験してみると、そこにある感情の深さにハッとさせられる。

たとえば、毎朝早起きして畑に出て、泥だらけになりながら草をむしって、雨が降ったら気をもんで、収穫できたときには心からホッとする。そういう一連の流れの中で、ただ「野菜が手に入った」っていう以上の達成感とか愛着が生まれる。

誰かにその野菜を食べてもらって「美味しいね」って言われたときには、それこそ涙が出るほど嬉しかったりする。これは、スーパーで買ってきた野菜を出すのとは全く別物の感情です。

そしてそれって、まさに「自分の身体と心で獲得していく」からこそ感じられるものなんだと思うんですよね。

頭で理解するんじゃなくて、体を動かして、気持ちを込めて、時間をかけて関わるからこそ、生活の中の小さな一コマが特別になる。

そういう実感が積み重なっていくと、「豊かさ」って何なのか、自分の中でだんだん定義が変わってきます。

モノの量でも、便利さでもなく、「生きてるって感じる瞬間の多さ」が豊かさなんだって気づかされます。

もちろんその分、楽ではないし、効率なんて二の次になりますけどね。

でも、その不器用さの中に、自分だけの物語がちゃんと宿っていく。

だからこそ、「宝物」って言葉がしっくりくるんだろうと思うんです。

派手じゃないけど、じんわりと心に染み込んで、何年経っても色褪せない価値が田舎にはある。

それは都会の暮らしでは見落としがちな、生の手触りみたいなものなのかもしれません。

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